うまれながらの視力で見るならば
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「世界を、世間なみの眼で眺めず、うまれながらの視力で見るならば」、つまり世界をその世界の構造の目で見ないで、直接見るとしたら、「世界は、夜空の星のように悲しげにてんでんばらばらに生きる無意味な個々のものに解体してしまう」。これがムージルのこの小説の、基本的な想念です。
人は物を直接見ているわけではない。いつも何かの価値観を通して見ている。だからこそ現実がある。世界を見るのは、その世界の価値観を通して見ているのだ。もしその価値観にたよらずに直接見るとしたら、世界というのはまとまりを失って一つ一つの細部へ分解してしまう。その細部は価値観からくる意味を失って、それぞれ孤立してしまう。悲しげに、とあります。
これは精神病者のしばしば訴えることでもあるそうです。まとまりとして見えていたものが、そのまとまりを失うと、個々のものがそれぞれの生命力を主張しはじめる。それがてんでに押し入ってくる。人はそれをまとめて受けきれない。あちこちが部分肥大して、それぞれが躁ぎ出す。一種の現実解体の様相です。
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ムージル観念のエロス(作家の方法)1988/古井由吉より抜粋
現実とは何かを絶えずその文体において押し進める80年前の作家の手法に迫る古井のトンガ/ムージルの考察を手にして、風呂に入ると、そのまま言葉の力に惹き込まれた。現実の構築に、解体の手法を選びながら、解体された現実の荒涼から立つひとつの調べとか音色へ向かうという、ムージルの他に類を見ない言語創作は、彼方(ここでは処女懐胎という予感)を目の前に現実として、ぽんと顕す手本のように感じられる。内実の無い虚構の羅列に意識を奪われるような世界を迎えつつあって、「存在」のこうした現実構築が、具体的な手法で明快に行うべきと戒めるに、よい契機となる。
諸々の関係性の意味付けよりも、本来的に無関係である、あるがままの世界として提示することの難しさが今の社会にはあり、個々の存在が煌めきはじめると、全体というイメージにとっては、上記引用した精神病者のしばしば訴える認識の混乱に似て、錯乱に陥るとは、皮肉を超えた状況かもしれぬ。
数日前の都電荒川線を眺めながら歩んで撮影したスナップを振り返り、おもちゃの国の乗り物のような不可思議さが其処に沸き上がり、同時に、古井の作品に度々顕われる、香りではなく匂い立つ女性の髪の精が小さな車内に蛍のように舞っている幻視を、私は加えるのだった。
「世界を、世間なみの眼で眺めず、うまれながらの視力で見るならば」、つまり世界をその世界の構造の目で見ないで、直接見るとしたら、「世界は、夜空の星のように悲しげにてんでんばらばらに生きる無意味な個々のものに解体してしまう」。これがムージルのこの小説の、基本的な想念です。
人は物を直接見ているわけではない。いつも何かの価値観を通して見ている。だからこそ現実がある。世界を見るのは、その世界の価値観を通して見ているのだ。もしその価値観にたよらずに直接見るとしたら、世界というのはまとまりを失って一つ一つの細部へ分解してしまう。その細部は価値観からくる意味を失って、それぞれ孤立してしまう。悲しげに、とあります。
これは精神病者のしばしば訴えることでもあるそうです。まとまりとして見えていたものが、そのまとまりを失うと、個々のものがそれぞれの生命力を主張しはじめる。それがてんでに押し入ってくる。人はそれをまとめて受けきれない。あちこちが部分肥大して、それぞれが躁ぎ出す。一種の現実解体の様相です。
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ムージル観念のエロス(作家の方法)1988/古井由吉より抜粋
現実とは何かを絶えずその文体において押し進める80年前の作家の手法に迫る古井のトンガ/ムージルの考察を手にして、風呂に入ると、そのまま言葉の力に惹き込まれた。現実の構築に、解体の手法を選びながら、解体された現実の荒涼から立つひとつの調べとか音色へ向かうという、ムージルの他に類を見ない言語創作は、彼方(ここでは処女懐胎という予感)を目の前に現実として、ぽんと顕す手本のように感じられる。内実の無い虚構の羅列に意識を奪われるような世界を迎えつつあって、「存在」のこうした現実構築が、具体的な手法で明快に行うべきと戒めるに、よい契機となる。
諸々の関係性の意味付けよりも、本来的に無関係である、あるがままの世界として提示することの難しさが今の社会にはあり、個々の存在が煌めきはじめると、全体というイメージにとっては、上記引用した精神病者のしばしば訴える認識の混乱に似て、錯乱に陥るとは、皮肉を超えた状況かもしれぬ。
数日前の都電荒川線を眺めながら歩んで撮影したスナップを振り返り、おもちゃの国の乗り物のような不可思議さが其処に沸き上がり、同時に、古井の作品に度々顕われる、香りではなく匂い立つ女性の髪の精が小さな車内に蛍のように舞っている幻視を、私は加えるのだった。

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